『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅 』山根 貞男

2023.09.05 Tuesday

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    戦前の映画の殆どが行方不明です。そうした貴重なフィルムを探すコレクターたちを追った『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅 』

    以前読んだ『映画探偵: 失われた戦前日本映画を捜して』は、失われた戦前映画のフィルムを探しだすドキュメンタリーでしたが、この本ではコレクターたちがいかにして映画を入手するが描かれます。

    戦前のフィルム事情


    戦前の映画フィルムのうち、9割が失われている理由として、以下の理由があげられます。
    ・可燃性で燃えやすい
    ・映画館側が勝手にフィルムを売る
    ・上書きされて使われたり、勝手に編集される

    それでも近年、貴重な日本映画の発掘が続いています。戦前の映画会社では、上映用の35mmフィルムのほか、家庭用に9.5mmフィルムが販売されていたため、そうしたルートでの新発見もあるのだとか。

    そして、フィルムの発掘に一役買っているのがフィルムを収集するコレクターたちでした。

    コレクターには2種類のタイプがあります。コレクションの公開を許す人と、秘匿する人。、作者は「公開型」のコレクターたちを訪ねては、コレクションの経緯や所有フィルムについてインタビューを試みています。

    その中には、長らく行方不明だった小津安二郎の映画『突貫小僧』のフィルム所有している人もいたそうです。



    生駒山の伝説のコレクター


    貴重なフィルムを所蔵している生駒山麓に住む伝説のコレクター・安倍氏については『映画探偵: 失われた戦前日本映画を捜して』でも取り上げていましたが、本書ではより深く、安倍氏とそのコレクションに迫っています。

    まだ世にでていない貴重な戦前のフィルムを多数所持していると語る安倍氏。

    作者は90年代から2000年代初頭にかけて、安倍氏の家を訪問し、フィルムの貸出を希望するものの、のらりくらりとはぐらかされてしまいます。2005年に安倍氏が亡くなり、家財を調査したところ、話に出てきた貴重なフィルムは見つからなかったとか。

    果たして彼は稀代の大嘘憑きだったのか、それともどこか他の場所にフィルムが眠っているのか、現在も謎に包まれています。

    ロシアに残るフィルム


    実は、ロシアには多くの日本映画が残っています。戦前、満州に住む日本人向けに映画が輸出され、その後侵攻してきたソ連によってフィルムは押収、長く鉄のカーテンに遮られてきました。

    ソ連崩壊後、ようやくフィルムの調査が進み、さまざまな映画フィルムが発見されたそうです。

    もしかしたら、あなたの家にも発見を待つフィルムが残っているかもしれませんね。



    高須四兄弟を支えた女性たち『葵のしずく』 奥山 景布子

    2023.01.22 Sunday

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      幕末、新政府軍と幕末軍、敵味方に分かれて戦うことになった高須藩の四兄弟たち。そんな彼らの活躍と悲哀を描いたのが『葵の残葉』でした。

      そして『葵のしずく』は、『葵の残葉』の四兄弟たちを、裏で支えた女性たちの物語です。正妻や母といった公式な立場の女性から、御庭番だった女性や、寵愛を受けた市井の女性など、高須四兄弟を愛した幕末の女性たちの生き様が描かれています。

      『葵の残葉』の感想はこちら→

      「残葉」が歴史、「しずく」は物語



      『葵の残葉』は、歴史的な事件をもとに、長兄の尾張藩主・義勝や、弟の桑名藩主・定敬の視点からその心情や苦悩を描いていましたが、『葵のしずく』では、彼らを支えた女性たちの物語が描かれます。

      大名家とはいえ、女性は政治に関与しないため資料も少なく、どこまでが事実で、どこからがフィクションかわかりません。ですが奥山景布子さんの文章によって、彼女たちの姿がいきいきと描かれています。



      大名家の女性たち


      長兄・義勝と弟・茂栄にそれぞれ姉妹で嫁いだ二本松家の矩姫と政姫。政治方針により、兄弟が対決する中で、姉妹たちもまた引き裂かれていくのですが、彼女たちは微力ながらも絆を保とうとします。(二本松の姫君)

      大名家では姉妹とはいえ、気安く接することはできないのですが、幼い頃のエピソードが可愛らしく、困難を乗り越えながら絆を育んでいった姉妹たちの姿がすてきでした。

      高須四兄弟・松平定敬の姉で米沢藩主に嫁いだ幸姫は、逆賊となった弟と、夫との確執を解こうと苦心します。(倫敦土産)

      松平容保の母であるお千代の方は、生母とは言え、身分的には臣下になるので、親子として接することができません。それでも、逆賊となった息子を案じ、高須藩の子どもたちの行く末を見届けようとします(禹王の松茸)

      大名家の妻や側室とはいえ、政治に参加することはできず、情報も限られているため、できることはとても少ないというのが驚きでした。それでも、夫をささえ、子や兄弟たちを案じながら、自分ができることで懸命に行っていくのです。

      彼女たちの存在は、きっと、高須四兄弟の心の支えとなったことでしょう。

      名古屋城の金鯱物語


      物語の最初は、なんと名古屋城金鯱夫婦、妻の鯱姫の視点で描かれます。尾張の歴史を見下ろしてきた金鯱の夫婦は、財政危機のたびに金を剥がされ、明治には夫婦離れ離れになり、妻はウィーンまで博覧会に連れて行かれます。

      それでも鯱姫は夫を思い、ようやく夫婦は天守の住まいに戻ることができました。

      しかし、戦争中は空襲にあい、溶けてしまったり、進駐軍に接収されたり大変な目に会いましたが、今は茶釜や旗頭として再生されているそうです。

      もし、金鯱たちがしゃべれたら、幕末の尾張の様子を語ってくれるのでしょうか…。

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      ・『葵の残葉

      『女系図でみる驚きの日本史』大塚ひかり

      2022.12.01 Thursday

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        男は滅んでも、女は生き延び、血を繋いでいく。女系図から歴史を読み解くと、これまでの歴史の常識がくつがえります。

        実は源氏より平氏の方が繁栄していたり妻の地位で子供の身分が決まったりと、鎌倉時代初期までは「女腹」、つまり女系の血統が政治を動かしていたのです。

        男女が逆転したよしながふみさんの『大奥』で将軍吉宗(女)がこんな風に言っていました。
        「誰の種か判別できない男系よりも、女系の血統の方が確実ではないか」と。

        たしかに女性から見た出自は「妊娠・出産」という目に見える証拠が残りますから確実ですよね。DNA鑑定などない昔のことですから、誰の「種」であるかは生んだ女性にしかわからないですし。



        そのため、平安時代くらいまでは女性の「腹」の格によって子供の身分が決まりました。歴史はある意味、女性が動かしていたのです。

        古代から平安までは女系社会


        言わずとしれた平安時代の有名人・藤原道長。彼の出世は女性たちのおかげなのです。もともと、藤原家の主流は『枕草子』の清少納言が仕えた中宮定子や、その父である藤原道隆(道長の兄)でした。

        しかし、道長は義理の母に見込まれたことで高位の姫・倫子をゲット。彼女との間に生まれた彰子が中宮となり、孫を天皇の位につけ、権力を振るいました。

        平安時代はいわゆる「通い婚」で、子供の養育は女性の家が行うのが当たり前でしたから、そうした面でも母方の影響力が強かったのでしょう。
        『源氏物語』でも、源氏の母親は「更衣」という后の中でも身分が低い立場だったため、たとえ父親の天皇が溺愛していても皇位継承者にはなれなかったんですね。

        平安時代の通い婚など、古今東西の驚きの価値観を紹介した『日本人が知らない驚き価値観


        こうした傾向は鎌倉前期まで続き、夫に先立たれた「後家」は家の権限を受け継ぎ、跡取りを決めることができました。なので、北条義時の妻・伊賀の方が息子を執権にしたくて反乱を起こしたというのは考えられないのだとか。

        興味深かったのが義経の母、常盤御前です。彼女は頼朝の母とくらべて身分の低いイメージがありましたが、実は源義朝の正式な妻であった可能性があり、そのため義経が朝廷で優遇されたり、奥州に迎え入れられたりしたという説があり、女性の地位が子どもの出世にも強い影響力があったことが伺えます。

        また、静御前のような白拍子を恋人にできるのは、かなりのステイタスで、身分の高い人限定なんですって。昔の白拍子は現代のアイドルや女優さんのような存在だったのでしょうね。

        完全な男系社会の江戸時代


        そんな平安時代とは対照的なのが徳川幕府です。

        北条氏の歴史である『吾妻鏡』を愛読していた家康は、乳母や外戚による権力争いを恐れたからか、母方の「外戚」が権力を持たないように、身分の低い女性を選んでいます。

        家康自身、今川家の女性を正妻にしていましたが、織田出身の息子の嫁との確執で粛清されたという過去があるので、実家に権力がある女性は敬遠したのかもしれませんね。

        これは、自身の出自が低い秀吉が身分の高い女性をコレクションしていたのとは対照的です。

        また、ドラマなどでは側室が偉そうにしているシーンがありますが、実際は大奥を仕切る「年寄」と呼ばれる奥女中より身分は低かったのだとか。まさに将軍の跡取りを「腹」としか扱われていなかったようです。


        大塚ひかりさんは、今までにない視点から歴史を考察する本を書かれています。視点を変えると、歴史ってこんなにも面白いんですね。

        『くそじじいとくそばばあの日本史』

        『長崎丸山遊郭 江戸時代のワンダーランド』

        2022.10.31 Monday

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          以前、長崎・出島と丸山遊郭を舞台にした漫画『扇島歳時記』から丸山遊郭に興味が湧き、関連本を読んでみました。

          通常、遊郭は華やかな極楽ですが、遊女にとってはまさに生き地獄。
          しかし、国際都市だった長崎では、他の遊郭とは違うシステムがありました。




          吉原遊郭の特徴


          ・店からの支給はゲームのレベル1のような簡易装備のみ。衣装や飲食は自分持ち
          ・遊郭を出るには借金を返すか、身請けしかない。ただし前者は借金システムのため無理ゲーレベル
          ・遊女は特別な場合以外、吉原から出ることはできない
          ・妊娠、出産ができるのは高位の遊女のみ
          ・死んだら死体を寺に投げ入れられる供養もなし

          きらびやかな印象の強い吉原ですが、その内情はまさに「苦界」です。しかし、丸山遊郭では遊女のルールなどは同じでも、引退や客選びは遊女の意思に委ねられていました。

          比較的自由な「苦界」


          なぜ、丸山遊郭が比較的自由だったのか。
          それは、丸山遊女たちが長崎の経済を支える存在だったからです。

          長崎は鎖国時代の国際貿易港でしたが、周辺では貿易ができるような特産品がなく、現地にはお金が落ちません。そこで、丸山遊郭の遊女たちが日本人商人や外国人を接待し、その遊興費で長崎の街は潤っていきました。

          長崎では遊女屋は地域コミュニティ構成員として認められていました。有名な「長崎くんち」など地域の祭りに遊女が参加したり、遊女屋が費用を負担したりと、街の発展にも貢献しました。

          丸山遊郭の特徴


          ・高位の遊女以外でも妊娠、出産が可能
          ・出島や街内を自由に行き来できた
          ・本人が望めば客を選ぶことができた(外国人担当が嫌なら希望が通った)
          ・引退すれば実家にもどって結婚することもできた

          遊女たちは街の稼ぎ頭で、アイドルのような存在でした。そのため、丸山遊郭では遊女が引退してから地元で結婚したり、他で働けなくなった元遊女たちを保護したりという救済システムが整っていたそうです。


          外国人客からのプレゼント


          長崎の遊郭の特徴として、遊女は外国人客からかなりの額のプレゼントをもらっています。中には「ラクダ」をもらった遊女もいたそうですが、これは流石に飼うことはできないので見世物小屋に売ったけれども、高額で売れたのだとか。

          そのほか、オランダ人は日本では高価だった砂糖を報酬やプレゼントとして贈っています。東南アジアでは安価で取引でき、日本では黄金並みの価値になるので、遊女たちはそれらを換金して副収入をえていました。

          高浜寛さんの『扇島歳時記』でも、禿のたまが出島のトーン先生から鳥のブローチをプレゼントされています。外国人たちは遊女だけではなく、禿や遣り手婆など、周囲の人間にも気前よくプレゼントをしたので遊女たちも彼らに気に入られるよう努力したそうです。



          『占領期のキーワード100 1945-1952』

          2022.10.10 Monday

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            時代とともに移り変わる流行語。そんな失われた言葉を知ると、歴史の風景が見えてきます。
            『占領期のキーワード100 1945-1952』は、日本が占領下に置かれていた7年間に流行した言葉を紹介・解説した本です。

            キーワードと同時に当時の記事や類語なども紹介されていて、当時、どんな風に言葉が使われていたかがわかります。



            敗戦と性産業の流行語


            アプレ・ゲール
            「アプレ・ゲール」とはフランス語で「戦後」を意味し、戦後によく使われました。略して「アプレ」とも。旧来の価値観を否定した奔放な生き方に対し、否定的な意味で使われました。

            パンパン・オンリー
            占領期の負の歴史といえば、進駐軍相手の売春婦・「パンパン」の登場があります。こうした兵士向けの性産業は、旧日本軍も占領地で行っていたので、いわば「必要悪」でした。

            パンパンの中では、将校など上級の兵士ひとりを相手にすることを「オンリー」と言いました。これまで貞操や従順を義務付けられた女性たちに良くも悪くも「性の開放」が始まったのが戦後です。

            カストリ雑誌
            性の開放はメディアにも及びました。戦後の混乱期は厳しい検閲が行き届かないため「カストリ雑誌」というインディーズ系のエロ雑誌が多く出版されていました。名前の由来は「粕取り焼酎」から。「三合(三号)で潰れる」といったシャレから呼ばれるようになりました。

            戦後生活と文化の流行語


            カムカム英語
            朝ドラで一躍有名になった「カムカム英語」は、平川唯一によるラジオ英会話講座のこと。「しょ、しょ、しょうじょうじ」のメロディにのせて「カムカムエブリバディ」を歌ったことで流行語になりました。

            英語で呼び込みをすることを「カムカムおぢさん」など、関連語も多く生み出されました。

            食料関連の流行語


            サッカリン・ズルチン
            サッカリンやズルチンは砂糖の代用品として開発された人工甘味料です。戦後の料理レシピには普通にサッカリンやズルチンが使われていました。

            安価だったので当時大量に出回りましたが、毒性があるためその後使用が禁止されました。

            特にサッカリンは石炭精製される時の成分から作られているので、いかにも体に悪そうですね…。

            現代も使われている流行語


            カンパ
            戦後、シベリア抑留者によってもたらされ、定着した言葉も多く、「カンパ」はもともとロシア語で「政治的な運動」を示す意味でした。日本では主に「活動資金を集める」という意味で使われています。
            学生運動が盛んだった60年代にもよく使われました。

            ゴールデン・ウィーク
            5月の大型連休をゴールデン・ウィークといいますが、こちらは映画業界が名付け親でした。休みが多いこの期間に選りすぐりの映画を上映してヒットを狙ったのだとか。昭和20〜30年代、全盛を誇った映画産業は衰退しましたが「連休」という意味のゴールデン・ウィークはそのまま使われています。

            戦後のアンダーグラウンド『わが青春の「盛り場」物語』福富太郎

            2022.09.08 Thursday

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              福富太郎氏といえば「キャバレー王」とよばれた実業家で、絵画コレクターとしても有名な人物です。彼の絵画の話を知りたくて読んでみたのですが、実はこの本、福富太郎氏が戦後の盛り場での実体験記でした。

              しかし、読んでみるとこれが面白い!治安が悪く、汚く、人々の欲望が渦巻いていた戦後のアンダーグラウンドな盛り場の様子がいきいきと描かれていて、夢中になってページをめくりました。



              戦後の混乱期の日本、特に盛り場は、今では考えられないような無法地帯だったのです。老舗や一流店の並ぶ銀座にすら、進駐軍用のPX(食料・生活用品)があり、RAA(性的奉仕施設)があったのですから。

              今でこそゲイタウンとして有名な新宿二丁目ですが、戦後は人気の赤線地帯(公認の売春地域)でした。そこは他の遊郭と違い、都会的で女性も施設も垢抜けていて人気があったのだとか。

              また、上野は公園周辺に浮浪者と男娼が多く、お忍びで視察に来た警察署長が男娼に殴られるといった事件も起きています。
              戦後の上野をモチーフにした中島京子さんの小説『夢見る帝国図書館』

              ケンカと麻薬と賭け事と


              福富太郎さんによると、戦後の盛り場では、麻薬(ヒロポン)売買、ヤクザとのケンカ、道端での賭博が日常茶飯事だったそう。
              警察も呼んでも来ないという有り様なのだとか。警察も「盛り場のケンカは自分たちでなんとかしろ」というのです。

              また、殺人事件や抗争もひんぱんで、華僑のギャングが警察署を襲撃(!)するなど、まるで映画のような事件が日常的に起こっていたのは驚きです。

              闇市と謎肉


              戦後、主要な街には「闇市」が立ち並び、正規ルートでは買えない商品が出回っていました。「闇市」では米軍払い下げの商品や残飯から作った怪しげな食べ物が売られ、それがなんの肉なのかわからないのです。

              映画『この世界の片隅に』でも、戦後の闇市で食べた雑炊の中にタバコの紙が入っていた、というエピソードが描かれていました。

              戦後の食糧難では、馬やうさぎ、猫や犬の肉まで使っていたそうです。

              戦後の女たち


              「戦後強くなったのは女とストッキングである」と言われますが、キャバレーやダンスホールに務める女性たちはみな、したたかです。

              家出の末に女郎屋に売られ、米兵のオンリー(一人を相手とした売春婦)になったものの、過去を物ともせず、その魅力から次々と男たちを手玉に取り、「魔性の女」と呼ばれました。

              戦後の自由な生き方を「アプレゲール」と言いますが、彼女たちはまさに、アプレな生き方を体現したのでしょう。

              花街の引力

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              現在、盛り場だった都市は再開発され、整備がすすんだため、かつてのダークな印象は影を潜めてしまいました。裏側に生息していた人々は隠れ、表からは容易には見つかりません。

              だからこそ人は、かつての盛り場にノスタルジーを感じるのかもしれません。

              『くそじじいとくそばばあの日本史』大塚ひかり

              2022.08.15 Monday

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                歴史の影にジジババあり。『くそじじいとくそばばあの日本史』の作者は、老齢をものともせず、歴史上活躍したジジババたちを、愛着をもって「くそじじい、くそばばあ」と呼んでいます。

                歴史上活躍したくそじじい、くそばばあ


                食事や医療が未発達だった昔。さぞかし老齢まで生きるのは大変。そんな風に思っていたら大間違いでした。

                昔の人の死亡率が高かったのは出産時や子供の時だけで、そこを乗り切れば案外長生きができたらしい。

                そうした「くそじじい、くそばばあ」たちは、蓄積した知恵や経験から、政治や芸術の世界で活躍する一方で、子や孫から金を巻き上げて財産を死守したりと、がめつい老人もいたとか…。

                江戸時代初期の僧侶・天海上人は、明智光秀だったという都市伝説があるほど謎の人物。実は天海が徳川幕府で政治に参加したのは80代になってから。

                歳を取ると記憶力は衰えますが、経験値に則した判断力や問題解決能力は向上するそうです。(だから政治家は「くそじじい」が多いのか…)そうした老人ならではのスキルを利用して、天海は100歳を超えても政治の表舞台で活躍しました。




                若さと権力


                権力を手にした爺婆が次に欲しがるのが若さでした。美容健康に関する知識は平安時代から実践されているほか、権力者はこぞって、若い女性(ときには男性)と関係を持とうとします。

                それは、若さの価値が権力と等価交換されるから。若さと美貌にはそれだけの価値があり、老人がそれを手にするには「権力」が必要不可欠なのですって。なるほど。

                歴史からみた老人事情


                この本で私が興味を惹かれたのが、当時の老人事情です。昔話ではよく「老人の知恵で危機を救われた話」がでてきます。そのため、昔は老人たちはさぞかし大事にされていたとおもいきや…

                実は、そうした老人たちはごく一部だったのです。周りに尊敬され、大切にされるのは心身ともに健康で知恵が働くジジババのみ。それ以外は蔑まれ、ひどいときは病気や高齢を理由に捨てられたのだとか。


                わたしもバイタリティあふれる「くそばばあ」になるために、まずは健康に注意しようと思います。

                『明治生まれの日本語』飛田良文

                2022.07.28 Thursday

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                  外国語の翻訳や新しい慣習を伝えるため、明治の知識人たちは四苦八苦して新しい言葉を作りました。
                  「恋愛」も「個人」も「常識」も新たに作られた言葉で、江戸時代にはなかったというのは驚きです。

                  文明開化で生まれた言葉


                  明治時代、新しい社会体制や生活様式が導入される中で生まれた言葉があります。

                  東京
                  当たり前ですが、この「東京」という言葉、江戸以前には存在しませんでした。江戸が東京と名前がかわったのは慶応四年のこと。当時の呼び名は「とうけい」が主流でした。

                  当時は京都のことを「東京」に対して「西京」と呼んでいたのだそうです。



                  翻訳から生まれた言葉


                  明治時代、人々は西洋の知識や文化を取り入れるため、海外の書籍を翻訳する必要に迫られました。
                  西洋の習慣や社会体制、人間関係など、これまでの日本語では「当てはまらない言葉」の壁に対し、当時の翻訳者たちは、試行錯誤の中から新しい言葉を生み出していったのです。

                  また、欧米の自己主義思想が導入され、「個人」という意識も芽生えていきました。最も、最初の自己主義は「わがまま」という意味でだったとか。個人が意見をいうのはまだまだ難しかったのでしょうね。

                  恋愛
                  明治になると西洋から「恋愛」の概念が持ち込まれ、「Love」の訳語として「恋愛」という言葉が生まれました。
                  その後、「恋愛」という言葉は女学生の間に広まり、徐々に定着していきました。

                  最初は「恋着」「恋情」といった言葉も用いられましたが、これらの言葉はどこか粘着質で、清廉な恋愛を願う女学生たちには受けが悪かったのかもしれません。

                  庶民発信の言葉


                  ぽち
                  実は、犬の名前である「ぽち」も明治生まれの言葉です。童謡「花咲かじいさん」の板が小学校の教科書に採用され、そのころに犬の名前も「ぽち」が定着していきました。

                  この頃、犬の名前で「ぽち」の他に使われたのが「斑(ぶち)」で、最初の『フランダースの犬』翻訳にもパトラッシュは「斑」という名前ででてきます。

                  翻訳関連の本やブログなど


                  『明治大正 翻訳ワンダーランド』
                  『翻訳百景』
                  昔の児童文学の食べ物翻訳がおかしい
                  「O・ヘンリー ニューヨーク小説集 (ちくま文庫)」

                  JUGEMテーマ:最近読んだ本



                  文豪たちの黒歴史『「文豪」がよくわかる本』

                  2022.07.14 Thursday

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                    『「文豪」がよくわかる本』の表紙にはこう書いてあります。
                    ゲスだっていいじゃないか、文豪だもの

                    このコピーがあるように、教科書にのるような文豪たち、実はゲスだらけ。しかし、こんな黒歴史を持ちつつも、それを作品に昇華させるのは、さすが文豪というべきでしょうか…。



                    明治の文豪黒歴史


                    教科書に作品が載るような明治の文豪も、実はけっこう「やらかして」います。

                    親バカ森鴎外


                    鴎外の娘である森茉莉のエッセイ『紅茶と薔薇の日々』によると、踊りの師匠が「娘を褒めなかった」と憤慨したり、茉莉さんが大きくなってもひざにのせて「お茉莉は上等♪」と自作の歌を歌うという、溺愛っぷりです。

                    そのほか、子どもたちに洋風なキラキラネームをつけたことでも有名ですね。

                    潔癖な泉鏡花


                    鴎外は親バカ以外にも細菌研究の影響で極度の潔癖症になり、風呂は汚いと行水をしていたそうですが、泉鏡花もまた、度を越した潔癖症でした。

                    泉鏡花の挿絵を担当していた小村雪岱のエッセイ『泉鏡花先生のこと』によると、泉鏡花は生物は絶対食べのに酔っ払ってむしゃむしゃ食べて、後日気持ち悪くなったそうです。それでも神仏への信仰がふかかったので、神社仏閣では伏礼していたのだとか。

                    姪を妊ませた島崎藤村


                    いやもう、これは現代だったら炎上、犯罪レベルです。島崎藤村は『夜明け前』などで知られる文豪ですが、家事手伝いに来ていた姪と恋愛関係になり、相手を妊ませて外国へ逃亡。ほんと、よくこれで歴史に名を残せたなと思います。

                    大正の文豪黒歴史


                    モダンな文化が花開いた大正時代。それに伴い、文豪たちも自由に恋愛を楽しんでいたようです。

                    妻と妾を同居させた菊池寛


                    雑誌『文藝春秋』を創刊した菊池寛は大衆小説で成功しましたが、関東大震災で家屋を消失。友人の家に家族で間借りするものの、そこへ囲っていた妾とその母親、女中まで転がり込み、そんな時に奥さんが出産。なんともドタバタな妻妾同居だったようです。

                    夫と妾を同居させた岡本かの子


                    大正時代、法律的にも浮気を許されていたのは男性だけでしたが、作家で歌人の岡本かの子は夫・岡本一平の承諾のもと、気に入った恋人を家に住まわせていたそうです。

                    奔放で芸術家(なにせ、あの岡本太郎の母なので)気質のかの子の相手は大変だったようですが、恋人は「かの子と暮らした日々が人生でもっとも楽しかった」と答えています。

                    ちなみに、谷崎と岡本かの子の兄が学生時代の親友で、かの子は美少年だった谷崎に想いを寄せていたそうですが、谷崎は「あんなブス」と相手にしませんでした。

                    友達の金で放蕩三昧だった石川啄木


                    石川啄木といえば、真面目に働きながらも貧乏から抜け出せない苦悩を歌った『一握の砂』が有名ですが、私生活はかなり奔放な人でした。

                    友人の国文学者・金田一京助をはじめ、友人、知人から借りたお金を女遊びや遊興のためつかってしまうので、暮らしが「楽にならざり」は、自業自得の面もあったのだとか。

                    金田一京助は、そんな啄木のために家財道具を売払って助けていたのですが、そのお金もすぐに消えてしまいました。そのゲスっぷりには金田一氏の息子、春彦氏も呆れていたほどでした。

                    職を転々とし、貧困の中ですばらしい歌を生み出した石川啄木ですが、私生活はとんでもないクズ野郎だったようですね。

                    石川啄木の奔放さと、金田一京助が振り回されるエピソードは『啄木鳥探偵處』という物語になり、アニメ化もされました。ブロマンス風味のミステリです。

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                    『百年前の未来予測』横田順彌

                    2022.05.24 Tuesday

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                      古典SF研究の第一人者・横田順彌さんの『百年前の未来予測』は、明治・大正時代の人々の考えていた未来像がわかる1冊。ハチャメチャではあるものの、案外当たっています。

                      中でも通信技術や鉄道などの技術については、驚くほど的中しています。中には「未来では葉巻型の列車で東京−神戸間2時間半で着く」など、新幹線の速度まで当てられているのです。(当時は17時間以上かかっていたそう)

                      テクノロジーの予測


                      リモートワークが定着し、Zoomなどウェブ上で行える会議システムが一般化した現在ですが、100年前にもすでに登場が予測されていました。「芝居も寄席も居ながらにして観たり聴いたりでき、遠距離の人間とも話ができる」システムは、今のスマートフォンやネット配信、ZOOMなどのWeb会議で実現しています。

                      100年前に予想されていた「スマホ」の姿 大正時代に描かれた“日本の未来”脅威の的中率

                      サイエンスフィクションの定番・地底都市は実現しなかったものの、未来予測では上下水道や地下鉄、各種ケーブルが地下に埋められている想像図が描かれています。これは想像図も含めほとんど当たっています。



                      女性の社会進出


                      女性に関する未来も多く、女性議員や女性警官の登場、外に出て働く女性が増え、男は背中を丸め、寂しそうに家で洗濯する絵が添えられています。この頃は「男性化する女性」があり得ない存在だったようで、宮武外骨『滑稽漫画館』という本でも、ひじを突いてだらしなく眠る「男のような女学生」が描かれています。

                      多様な働き方や生き方が定着しつつある今では当たり前の光景ですが、明治では「未来の出来事」で想像するほど、女性が男性と同じように働くのは珍しいものだったのでしょうね。

                      しかし、現在でも日本は女性議員の割合が先進国で最下位なのが残念です。

                      医療技術の発達


                      医療の発展については「切開術は電気技術のため苦痛がない(麻酔や手術器具の発達)」や「気球で空を飛ぶ病院(ドクターヘリ?)」など、ある程度は当たっていました。

                      また、挿絵には「義首の発明」が描かれていますが、これも「顔を変える」という意味なら整形手術で実現しています。明治の小説家黒岩涙香の小説『幽霊塔』でも、整形手術がスピリチュアル風な最新技術として登場しています。



                      一方で、当時の医学博士の予測によると「社会が複雑になると新しい病気が起こり、予防治療の問題は果てしがない」とあって、これは今のコロナ禍に通じるものがありますね。

                      未来予測が現実化し、人々の暮らしは便利になりましたが、新たな紛争や疫病が発生しています。次の100年後の未来予測は、一体どんなものになるのでしょうか…。

                      横田順彌作品


                      『幻綺行 中村春吉秘境探検記』
                      『明治おもしろ博覧会』
                      『義侠娼婦・風船お玉』