海軍グルメの本『海軍食グルメ物語』『海軍さんの料理帖』
2022.10.27 Thursday
自衛隊の中でも一番ごはんがおいしいと評判な海上自衛隊。どうやらそのルーツは旧海軍時代の創意工夫にあったようです。
こちらは、海軍の食の歴史エピソードを紹介した本です。
東郷平八郎がイギリス留学の際に食べたシチューを、日本で再現しようとしたら肉じゃがが生まれたというエピソードは有名ですが、「肉じゃが」の呼び名は以外にも新しくて昭和40年代からなのだとか。それまでは「甘煮(もしくはうま煮)」と呼ばれ、海軍から家庭に広まった料理なのだそうです。
ちなみに、海軍設立当初、冷凍冷蔵設備のない艦には牛を生きたまま(!)連れて行っていたのだそうです。
明治の初めからカレー料理は海軍でかなり研究されていて、通常のカレーライスのほか、魚のカレー焼きなど、カレー料理も研究されていたそうな。なかには伊勢エビカレーなどかなり豪華なカレーもあったとか。
そのほか、紳士教育の一環として士官は精養軒での食事が必須だった明治期の海軍。真珠湾攻撃前の献立、艦でつくられた本格的な和菓子など、食の歴史を軍の視点から振り返るのはなかなか興味深かったです。
日露戦争を描いた「坂の上の雲」の主人公・秋山真之さんも、きっと精養軒で食事をしたり、艦の上で工夫された食事をとっていたのでしょうね。
こちらは、明治から昭和までの日本海軍のレシピと、料理にまつわるエピソードを紹介した本。『艦これ』や『アズールレーン』などの影響からか、美少女キャラが料理を紹介しているので、わかりやすくて読みやすいです。
明治時代から洋食のメニューが取り入れられてきた海軍。そこで、さらなる西洋化を進めるために「3食全部パンにする」と、上層部がいい出したところ、「米を食わせろ!」と、兵士たちから猛反発があったそうです。
当時、兵士たちは貧しい家の出身者も多く「たらふく米が食える」と思って入隊したのですから、そりゃ怒りますよね。パンの他にも、タンシチューも評判が悪かったそうです。「なんで牛の舌なんぞを食わせるんだ!」と。
だから、精養軒での洋食修行が義務付けられていたのかもしれませんね。
大正時代になると、栄養学が発達した関係で、メニューも栄養やカロリーを考慮したレシピが開発されました。この頃になると艦ごとに得意料理ができてきて、料理コンテストなども行われました。
こちらは、来るべき大戦に備えて、食糧不足や質の低下を補うメニューづくりを兼ねていたそうです。
また、艦隊ではゴミの量をでるだけ減らすために材料を工夫したレシピが開発されました。これは単にエコや節約というわけではなく、ゴミの量で敵に位置や兵士の数を察知される可能性があるからです。
海軍の料理は、戦闘の一環だったんですね。
レビューポータル「MONO-PORTAL」
『海軍食グルメ物語』
こちらは、海軍の食の歴史エピソードを紹介した本です。
東郷平八郎がイギリス留学の際に食べたシチューを、日本で再現しようとしたら肉じゃがが生まれたというエピソードは有名ですが、「肉じゃが」の呼び名は以外にも新しくて昭和40年代からなのだとか。それまでは「甘煮(もしくはうま煮)」と呼ばれ、海軍から家庭に広まった料理なのだそうです。
ちなみに、海軍設立当初、冷凍冷蔵設備のない艦には牛を生きたまま(!)連れて行っていたのだそうです。
海軍カレー
明治の初めからカレー料理は海軍でかなり研究されていて、通常のカレーライスのほか、魚のカレー焼きなど、カレー料理も研究されていたそうな。なかには伊勢エビカレーなどかなり豪華なカレーもあったとか。
そのほか、紳士教育の一環として士官は精養軒での食事が必須だった明治期の海軍。真珠湾攻撃前の献立、艦でつくられた本格的な和菓子など、食の歴史を軍の視点から振り返るのはなかなか興味深かったです。
日露戦争を描いた「坂の上の雲」の主人公・秋山真之さんも、きっと精養軒で食事をしたり、艦の上で工夫された食事をとっていたのでしょうね。
『海軍さんの料理帖』
こちらは、明治から昭和までの日本海軍のレシピと、料理にまつわるエピソードを紹介した本。『艦これ』や『アズールレーン』などの影響からか、美少女キャラが料理を紹介しているので、わかりやすくて読みやすいです。
明治海軍の米騒動
明治時代から洋食のメニューが取り入れられてきた海軍。そこで、さらなる西洋化を進めるために「3食全部パンにする」と、上層部がいい出したところ、「米を食わせろ!」と、兵士たちから猛反発があったそうです。
当時、兵士たちは貧しい家の出身者も多く「たらふく米が食える」と思って入隊したのですから、そりゃ怒りますよね。パンの他にも、タンシチューも評判が悪かったそうです。「なんで牛の舌なんぞを食わせるんだ!」と。
だから、精養軒での洋食修行が義務付けられていたのかもしれませんね。
カロリー計算とゴミ削減
大正時代になると、栄養学が発達した関係で、メニューも栄養やカロリーを考慮したレシピが開発されました。この頃になると艦ごとに得意料理ができてきて、料理コンテストなども行われました。
こちらは、来るべき大戦に備えて、食糧不足や質の低下を補うメニューづくりを兼ねていたそうです。
また、艦隊ではゴミの量をでるだけ減らすために材料を工夫したレシピが開発されました。これは単にエコや節約というわけではなく、ゴミの量で敵に位置や兵士の数を察知される可能性があるからです。
海軍の料理は、戦闘の一環だったんですね。
レビューポータル「MONO-PORTAL」