「八重の桜」と会津と白洲正子の、意外な関係

2013.02.07 Thursday

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    関東生まれ、東京在住、おまけに判官びいきの私なので、幕末・特に旧幕側のドラマ「八重の桜」は毎週欠かさず見ています。

    ドラマ放送とともに八重の桜の主人公・新島八重の関連本も数多く出版され、その中の一冊「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 八重の桜 (NHKシリーズ)」を何気なく手にとってみたら興味深い箇所がありました。

    その前に新島八重さんの生涯をざっくり解説すると

    ・会津の砲術師範の家系に生まれ、幼い頃から鉄砲に親しむ
    ・戊辰戦争では、男装して鉄砲をぶっ放し応戦
    ・その後は兄の山本覚馬を頼り京都へ
    ・そこで新島襄と知り合い結婚
    ・新島襄の死後、日清戦争・日露戦争で看護婦として活躍、民間女性で初めて勲章をもらう

    とまあ、波瀾万丈の人生だったわけですが、会津を遠く離れても八重さんの会津への思いは強かったようです。
    興味深かったのは晩年、君主であった松平容保侯の孫にあたる松平勢津子姫が、昭和天皇の弟君・秩父宮殿下とのご結婚が決まった時、よほど嬉しかったのか、祝賀式典のために上京したり、こんな歌も残してます。

    「いくとせか みねにかかれる むら雲の はれて嬉しき 光りをぞ見る」


    京都守護職を拝命し、朝廷と幕府を命がけで守ってきたのに「朝敵」とされてしまった会津藩。その会津の姫が皇族となられたのは、会津の方々の喜びようはひとしおだったことでしょう。まさに勢津子妃は苦労を重ねてきた会津の人々にとっての「光」であったのでしょうね。

    ところで、この婚姻、実は意外な人物が関わっています。戦後日本でGHQと対等にわたりあった・白洲次郎の奥様にしてエッセイストの白洲正子さん。実は勢津子妃と親友で、正子さんの父親・樺山愛輔氏はこの婚姻を取り持ったのだとか。しかし、樺山家は会津と戦った薩摩藩士のお家柄。けれど正子さんの時代にはもう、そんな確執はなかったのかもしれません。

    それにしても、伯爵令嬢なのに平気で「ブッコロス」とか「バカヤロウ」など言葉を吐く正子さんと勢津子妃、立場も家柄も(おそらく性格も)違うお二人が親友だったなんて、なんだか不思議ですね。

    また、白洲次郎が東北電力会長だったとき、奥只見ダムの落成式(だったかな?うろ覚え)に勢津子妃をおよびしたところ、会津の方々の大歓迎ぶりがものすごかったと「白洲次郎 占領を背負った男」に書かれていました。


    あれ?新島八重さんについて書こうとおもったら、白洲正子さんと勢津子妃のエピソードみたいになっちゃった。 まあ、結局、歴史って意外なところでつながっているんだな、ということが書きたかった、ということで。(^^;)

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