容保の兄・徳川慶勝の人生を描いた「冬の派閥」

2013.03.13 Wednesday

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    大河ドラマ「八重の桜」で有名になった悲劇の名将・会津藩主松平容保。容保はもともと高須藩という尾張藩の支藩の出身で、幕末に活躍した他の兄弟を含め「高須四兄弟」と称されました。

    容保の兄・徳川慶勝は、尾張藩を継ぐことになります。もともと高須藩は尾張藩に跡継ぎがいない時に藩主を出せる家柄なのですが、幕府の横槍で子沢山の徳川家斉の子どもたちを藩主に押し付けられる状態が長く続きました。
    尾張系の血を引き、優秀な慶勝を藩主にするため、庶民が抗議の自殺まででる始末に、さすがの幕府も折れ、晴れて御三家筆頭・尾張藩藩主になったものの、ここからが慶勝の苦難の始まりでした。

    冬の派閥 (新潮文庫)」では、慶勝がいとこである徳川慶喜の尻拭いをさせられる役回りだったようです。尾張藩の財政再建、派閥闘争の調整だけでも大変なのに、叔父(慶喜の父、水戸前藩主・徳川斉昭)にそそのかされたことで、安政の大獄では蟄居させられ、慶喜が将軍になる、ならないの駆け引きにも利用され、重い持病があるのに長州征伐を命じられ(その時の参謀が西郷隆盛)、最終的には信頼していた兄弟たちと敵味方で争うことに。

    私の感想ですが、どうも慶喜という将軍は、一昔前の愚鈍なイメージから優秀な人物へと評価が変わってきましたが、慶喜の行動には、理はあっても、誠がないんですね。合理的に物事を進めるけれど、そこには情が足りない感じがします。(西洋風が好きでしたし、思考も西洋的なのかもしれません)

    その「誠」を最後まで貫いたのが、慶勝や容保だったのだと思います。
    それは、のちに悲劇を招くことになるのですが、日本人は、合理的な慶喜よりも、「誠」を貫いた容保や慶勝の方に親しみを覚えるのだと思います。

    「冬の派閥」では、兄弟の信頼と互いを思いやる、心情あふれるシーンがでてきます。
    容保は、孝明天皇から頂いた御真筆(天皇直筆)を「兄上にだけ」と慶勝にみせ、危うい立場に立たされた容保が陣をはる方角の空を、慶勝はいつも眺めている。やがてお互いの立場の違いから、兄弟は敵味方に争うことになります。

    それでも維新後、慶勝は新政府軍に逆らった容保と定敬の弟の助命嘆願を画策したりと、最後まで兄弟への愛を持ち続けていたのでしょう。

    歴史の表舞台に立つことなく、けれど、その功績がなければ歴史が変わっていた。
    そんな無名の英雄たちの物語を読むのが好きです。

    「冬の派閥」の後半は慶勝はあまりでてこず、尾張藩の北海道移民の話になります。個人的にはもう少し慶勝や高須四兄弟のその後について書いて欲しかったのですが…。

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    八重の桜にも、慶勝さん登場して欲しいのですが、どうなんでしょうね…。

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