民俗学とミステリはよく似ている『触身仏』北森 鴻

2019.07.26 Friday

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    美貌でクールな民俗学者が解き明かすのは、昔も今も変わらない人間の「業」かもしれない。蓮丈那智フィールドファイルも2冊め。このシリーズの面白いところは現実の事件と、民間伝承の中に埋もれた事件、その両方の謎が明らかになるところです。

    民俗学は正規の歴史書に書かれないような地方で「その時そこで何があったか、なぜこうして残ったか」を検証し、推理していく学問です。

    昔の農村では生存それ自体が難しいため、生き延びるために村人たちは間引きや姥捨て、人柱など、現代の感覚では考えられないような壮絶な虐殺が行われていました。

    それを残したい思いと、知られたくない思いが相反し、時に人や現象を変化し逆転させ、元とは異なる伝承として伝わる。それを解き明かしていく作業が民俗学はミステリのようでもあるわけです。




    触身仏─蓮丈那智フィールドファイルII あらすじ



    「秘供養」


    人里離れた場所に作られた五百羅漢の謎。「なぜ、この場所に、こうした形で残るのか」には理由があり、これが解かれたときの恐ろしさといったら…!

    「大黒闇」


    大学に潜む恐怖を描いた話。大学内のカルト宗教、催眠術のように相手を操る教主のおそろしさといったら、助手の三國くんまで危うく入りそうになるほど。でもそれを制した蓮杖先生の「無用!」の一言かっこよかったですねえ。

    「死満瓊」


    学者同士のディスカッションの場で殺人事件が発生。死体の隣には蓮杖先生が意識不明で発見されてしまう。「三種の神器」のひとつ、勾玉についての考察が語られます。

    鏡は鬼道(占い)、剣は軍事力、勾玉は日本神話にでてくる海の満ち引きを支配する玉から、治水事業であると考える説が興味深いです。ヤマタノオロチ退治も、水に住むオロチを川の氾濫に見立てた治水事業という説もあるのだとか。神話に秘められた歴史的な解釈、面白いですね。

    「触身仏」


    即身仏とは食を少しずつ絶ちながら絶命するまで念仏を唱え、その亡骸を仏として祀る修行。その即身仏にまつわる物語。本来里の近くに祀るべき仏が集落と異なる場所に安置された意味とは…。実際にフィールドワークでその場所や地形を見ることで、全く違った側面がみえてきます。

    「御蔭講」


    わらしべ長者の物語と「講」と呼ばれる昔の相互扶助システム(沖縄にはまだ残っている)との関連性。わらしべ長者のように、より多くを得るために狂ってしまった男の話とリンクしています。



    蓮丈那智フィールドファイルシリーズ


    「凶笑面」
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